如松柏之茂(しょうはくのしげるがごとし)松や柏の木のように冬も青々と茂り、万年栄える

お茶の命である青さ、そしてそれが不変であること。「松柏園」の園名に込められた想いです。

江戸時代の升半茶店本店の様子のイメージイラスト
「升半の歴史」タイトルと石臼の画像

茶を楽しめる豊かさを目指して

初代半三郎
松の挿絵

江戸時代後期、上流階級の嗜好品であった挽茶(ひきちゃ=抹茶)。
尾張では宇治茶師の独占販売体制により、その価格は高止まりし、庶民にとっては入手し難いものでした。

「庶民の誰もが良いお茶を楽しめるようになるべきではないのか。」そう考えた升屋彦八家の三男・初代半三郎は、自ら宇治まで買い付けを行い、従来の販売体制の改善を目指したことが升半茶店のはじまりです。

天保11年(1840年)、松柏園・升屋半三郎茶舗を開店し、幕末には町奉行御用達を拝命しました。

松の挿絵
松柏園・升屋半三郎茶舗 創業当時のイラスト

二代目半三郎の時代には、宇治木幡(京都府京都市)に茶園と製茶所を設置し、徹底して品質を高めてきた結果、内国勧業博覧会での最高入賞をはじめ、名誉ある賞を多数受賞してまいりました。

宇治の抹茶園の昔の写真
松の挿絵
松の挿絵

升半のお茶をこれからも

升半茶店四代目半三郎のイラスト
松の挿絵

高品質であることを升半の絶対の基準とする一方、生産から販売まで一貫した直販体制、茶臼ひきの機械化、電気利用の乾燥機導入など、より多くの方へ美味しいお茶をお届けする工夫も先進的に取り入れてきました。

いつからか、「茶舗升屋横井半三郎商店」を「升屋半三郎」さらには「お茶の升半」とお呼び下さいまして、今では正式な名称となった次第です。

戦災により一夜にしてお店が灰塵に帰してしまいましたが、先代から受け継がれてきた「美味しいお茶を皆様で楽しんでいただきたい。」という初志を胸に、昭和26年(1951年)に店舗を再建。その後、2023年に本店をリニューアルし、カフェスペースも併設いたしました。

時代と共にお茶の楽しみ方は変わりつつありますが、創業当時の想いは今も変わらず、お客様が心から「美味しい」と思っていただけるよう精励してまいります。
これからも、憩いの時間を升半の美味しいお茶と共にお楽しみいただければ幸いです。

「抹茶のこだわり」タイトルと茶葉の画像

宇治の茶に一途

松の挿絵

抹茶とは、茶葉以外に味を加えない自然のままのものですので、茶葉そのものの良し悪しが一服の味わいを大きく左右します。抹茶の品質評価は、挽く以前の「碾茶(てんちゃ)」の状態で行われるほど、原材料の質は抹茶の質と直結しているのです。(※碾茶とは…日光を遮って育てた茶葉を、蒸して乾燥させたもの。)
升半は創業以来、一貫して高い品質の宇治茶にこだわり、取り扱ってまいりました。

宇治は雨が多く昼夜の寒暖差がある土地のため、お茶の生産に大変適しており、宇治の茶は旨み・渋み・苦みのバランスが良く、品評会でも高い評価を獲得しています。

茶は野菜と同じように青物ですので、良い栽培条件の下で育てられた宇治茶であることを大切にしています。

抹茶粉末をすくい上げているシーン

ゆっくりと少しずつ

松の挿絵
松の挿絵

碾茶を石臼で挽いたものが抹茶となりますが、臼挽きの際、摩擦によって温度が上がりすぎてしまうと風味が飛び、質が落ちてしまいます。
「わさびは怒ってかけ、お茶は眠ってひけ」という言葉が伝わるように、美味しく滑らかな抹茶にするためには、ゆっくりと時間をかけて臼を回すことが求められます。

このように、茶の風味を味わえる本物の抹茶は、大量生産することができません。

また、粒子が非常に細かく大変繊細な抹茶は、保存の環境次第では風味に変化が生じてしまいます。そのため、升半では店頭に並ぶ抹茶の量を見定めて、挽きすぎないよう調整しています。
お客様がいつご来店していただいても、できる限り挽きたてのお抹茶をご用意してお待ちしております。